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蔟のはじまり

わたしたちが蔟(まぶし)を始めようと決意したきっかけ、それはただ単純に“この場所”で生きていく生業が必要だったからです。

お豆とかやのが出会ったのは2015年春、八ヶ岳の山小屋でした。山小屋での生活はわたしたちにとって大きな転機となりました。

今の生活に疑問を感じ、山登りは嫌いなんだけど、自然の中で働きたいお豆。

大学を中退して、自分の生き方を問いながら、働くなら自然の中で、がモットーのかやの。

他にもわたしたちの働く山小屋にはいろんな人がいて、約半年の間、同じ釜の飯を食べ、時にはみんなで雑魚寝をし、家族のように過ごしました。

空が近い山小屋

山小屋のあと、どのように生きていくか考えていたかやのは、お豆が山形県の白鷹町に行くということを聞いて、ついつい、ついてきてしまったのです。

わたしたちは山小屋の休みが合えば、近くのゲストハウスに旅に出ました。山小屋が終わった後は、車で日本をぐるりと周りました。いろんな話をしながら、いろんな出会いと巡り合いながら。

そんなこんなで白鷹町で暮らすようになり、ここで生きている人たちやここで生きている暮らしに出会い、もう少しここで生きていたいと想うようになりました。そしてここで出会った人や暮らしをもっとたくさんの人と共有したい、ここで生きている人がもっとこの町を誇りに思ってくれたなら。

そんな想いで運命的に出会えた、築150年ほどの古民家で宿を始めることにしました。

この古民家は以前、神主さんが住んでいたようで、近くの神社を守っていました。昔からこの場所には人が集まっていたようで、わたしたちがオープンに向けてせっせと作業をしていると、ここにはやっぱり人が集まってきます。

野菜を持ったサンタクロースや釣ってきた魚を持ってきてくれる人もいます。いつも2人じゃ食べきれないくらいの食べ物を分けてくれます。わたしたちの命はみんなに支えられているのです。この恩返しもちゃんと、じっくりと、返していきたいな。

風に吹かれて、流れて生きているわたしたち。先のことは何もわからないけれど、ここでもう少し生きてみることにしました。ここでもう少し生きてみて、もう少ししたらまたきっと、風が今後の歩みを教えてくれるはずです。